「文化」は社会を支えるOSになっていく。同志社大学・河島伸子先生に聞く、文化を“経営する”とは?
これからの時代の「文化」と「観光」のよき関係性を探るべく、有識者の方々にインタビューをしていく連載シリーズ。最後にお話を聞いたのは、同志社大学経済学部教授で、文化経済学が専門の河島伸子先生です。
文化を守るためには経済が必要だが、経済偏重では文化が保存できない。文化政策を考えるときに突き当たる、文化と経済のバランス。文化と経済の関係を研究されてきた河島先生は「文化は社会のOSである」と語ります。そんな河島先生に、これからの文化と経済の関係性や文化観光の発展に向けた課題と展望について聞きました。
河島伸子
英国ウォーリック大学文化政策研究センターリサーチフェロー、同志社大学専任講師・助教授を経て現職。PhD(文化政策学、英ウォーリック大学)、MSc (非営利組織論、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス)、LLM (with Distinction、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス)。専門は、文化経済学、文化政策論、コンテンツ産業論など。著書に「コンテンツ産業論」、共著に「変貌する日本のコンテンツ産業」「イギリス映画と文化政策」「グローバル化する文化政策」「文化政策学」「アーツマネジメント」、他英語論文多数。文化経済学会<日本>元 会長、国際文化政策学会学術委員、International Journal of Cultural Policy編集委員、文化審議会委員等を務める。
「文化観光」なしに、観光は成り立たない
──2020年に文化観光推進法が制定されました。文化政策の重点が経済的価値の創出に偏向することへの懸念も広がっていますが、河島先生は文化観光をどのように考えていますか。
文化観光推進法では、文化観光を「文化についての理解を深めることを目的とする観光」と定義されており、文化を観光に従属させないよう担保されているのだと思います。もっとも、あくまでも観光は余暇活動であり、エンターテインメント。日常から抜け出して、非日常を体験することに重きが置かれているわけですよね。
文化観光は、観光の中の「ついで」の要素でありながらも、文化観光なしの観光なんて成り立たないほど、重要であるとも思います。
例えば「フランス文化への理解を深めよう」と高い視座でパリ観光をする人はそう多くないはずです。しかし、フランスに行く観光客は、ほとんどの場合はルーブル美術館に行きます。普段は美術館に行かない人であっても訪れれば、芸術の素晴らしさに心躍るだろうし、文化的な学びもあるでしょう。
観光した地域の食材を活かした食事や、地酒を楽しむのも、文化観光のひとつだと思います。地域の食は「食文化」ですから。たまたま訪れた場所の文化が妙に気になり、帰ってきてからいろいろ調べるのも文化観光のあり方のひとつでしょう。
──そうした文化観光の好事例があれば教えてください。
自分の体験で言えば、佐賀県唐津市にある「名護屋城跡」が印象的です。秀吉が朝鮮半島出陣に向け、このような城を建てていたことを意識せずに、偶然訪れたのですが、博物館が隣接されていて、その文化的価値をより深く知ることができました。観光客は、下調べを念入りにする人も、偶然に身を任せる人もいろいろいるので、それぞれの層に適切な体験が用意されていることは大事ですよね。
そうして人が地域を訪れれば、経済の循環も生まれる。人には、地域の食を楽しみたい、記念になるような良いものがあれば買いたいなどの欲求がありますから。
すなわち、文化遺産の横に、その文化的価値をプレゼンテーションする施設や、そこでの体験を持ち帰ることができるショップがあることで、濃い文化観光を提供することができるとも思います。
しかし、文化経済学者として気になるのはその先です。果たして、文化観光のマーケティングがどれだけ進んでいるでしょうか。例えば文化観光者に関するデータも、私の知る限りほとんどありません。日本の文化事業において、圧倒的に抜けているのがマーケティングです。文化をマネージする人たちにマーケティングという発想がすっぽりと抜けている。「マーケティング」という言葉を聞くことすら滅多にありません。
見に来た人たちがどんな体験を得たか、自分たちは新しい価値の提供ができたのか、考えられているでしょうか。なにか企画を立てるときも、自分たちがやりたいようにやることに重きが置かれ、供給者ドリブンで物事が進んでしまう。
──なるほど。そうした「マーケティング」発想は欧米などでは取り入れられているものなのでしょうか?
英米は随分と発達しています。国家的な補助金が打ち切られていく中で、どうにか生き延びるためには顧客の開拓が必要だったからです。
1980年代後半から90年代にかけて、イギリスのミュージアムセクターの状況はかなり厳しいものでした。ミュージアムの展示品はほこりをかぶっているかのように魅力的でなく、寂れたカフェがポツンと開いている。とても楽しいとはいえない場所でした。
そこから大きく方向転換をしました。来る人のタイプ、何を期待しているか、ミュージアムの中をどのように見て、どう感じて、どんな動線を通るか。展示だけを見に来ているのか、それともショップやカフェを楽しみに来ているのか。徹底的に調査して、それに沿った改革にも積極的でした。
──そうした方向転換を起こせたのはなぜでしょうか?
トップが「文化経営者」なんです。文化も経営も、どちらも同じように大切にできる。すると、人の配置や採用の観点も変わってきます。
マーケティング担当も一般企業で働いてきた人を雇います。企業のマーケティング部門で基本スキルを身に着けた、やる気のある人に「ミュージアムのマーケティングディレクターをやってくれませんか?」とオファーしたら、その人にとっては大出世なわけです。働く場所として企業に遜色ない魅力があります。
そうした優秀なマーケティング担当の人を、展示会の企画の初期段階からチームに入れる。マーケターにも発言権があり、彼/彼女らの視点から「こうあるべきだ」という主張も、企画に反映されていきます。なぜなら、マーケターのほうが芸術の専門家よりも観客に近いからです。芸術部門の独りよがりな企画にならないように、全体で細かくコミュニケーションを取りながら準備を進めます。芸術が大好きな人たちだけでなく、初心者の体験も考慮した企画や展示計画を立てることで、より多くの人に価値のある展示会にしていくんです。
日本でも、より多くの人に楽しんでもらうにはどうしたらいいのかを考え、顧客層を広げる努力は絶対に必要だと思います。
文化的価値と経済的価値、別の視点から文化の価値を測る
──文化領域におけるマーケティング戦略が乏しいというご指摘は、文化を経済の視点で見るという発想自体が、日本に浸透していないことの現れかと思います。先生のご専門である文化経済についても教えていただけますか。
最初にお伝えしたいのは、私の研究仲間たちは、みな「この大切な文化をどう育てていけばよいのか、守っていけばよいのか」という問いに根本的な関心があります。文化政策も文化観光も文化経済も、その問いに答えるための方法です。
文化経済学が関心を寄せてきた1つの大きなテーマは、文化の価値、というものです。そこで大事なのは「経済的価値」と「文化的価値」を分けて考えること。さらに「経済的価値」と「経済効果」は違うことを前提としてお伝えする必要があります。
経済効果は、わかりやすいです。例えば「ある文化遺産が世界遺産に登録され、観光客が◯◯万人増えた。観光客は平均◯◯円の金額をその地域で消費し、◯◯万円の売上が増え、◯◯%雇用が生まれた。結果、◯◯億円の経済効果がありました」といった日常でもよくある測定です。
文化遺産でも、経済効果は測れます。京都の清水寺で考えてみれば、観光客や施設の利用者が払う拝観料、お守りや絵馬などの売上、ラグジュアリーブランドの展示会場などで貸し出す際の賃料。こうした日常的な経済活動からも文化領域の経済効果を測ることができます。
一方で「文化の経済的価値」はちょっと測りにくい。入館料を払ってまで入ることはない地元の人にとって、清水寺が無価値かといえば、そんなことはありません。京都のアイデンティティといえるような象徴的な文化遺産ですから、地元の人にとってはかけがえない存在でしょう。また、清水寺は宗教施設でもあります。その宗教の人にとっては、観光客や地元の人とはまた違った価値を持っているはず。
こうした価値を経済的に評価するときは、CVM(仮想市場評価法)という方法を用います。例えば「清水寺は今のままだとかなり老朽化しています。それをまともな状態に戻して次世代につなげていくためには、あなたならいくら支払えますか」という質問を投げかけて、その集計から経済的価値を測るんです。ただ、これは質問の仕方によっては誘導できてしまったりもするので、あまり積極的に利用されていません。
──なるほど。「文化的価値」についても教えていただけますか。
例えば、清水寺と金閣寺を比べて「どちらのほうがより歴史的価値があるのか」「どちらのほうがより建築的に価値があるのか」といった指標から測定します。これは経済という切り口では測定できなくて、歴史や美術、建築などの専門家による点数づけが一般的です。
こういった測定はあまり世の中のニュースになりませんが、意外と測定されています。文化庁でも、補助金を出したりする際には必ずやっていますよね。なぜなら、地域から歓迎され、観光へのポテンシャルが高いとしても、文化的価値が低い資源を守るために税金を使うわけにはいかないからです。
文化的価値の難しさは、客観性や合理性とは相性が悪いこと。時代によって変化し、研究が進む中で発見されることもあるでしょう。思想や主義・主張を表現した現代アートの評価も難しいところです。それでも、世界的に活躍する専門家たちによる評価の総合で、標準は決まります。判断する人や、その人の考え方に左右されてしまいますが、まったく評価軸がないわけではありません。
文化は社会を支えるOSである
──文化と経済や、文化とマーケティングを考えていく「文化が経済に飲まれてしまう」といった懸念もつきものです。日本の文化領域で経済と文化のバランスを取るにはどうしたらよいとお考えでしょうか。
これからの時代、バランスを取るというよりむしろ、文化を基礎にする時代がやってきていると思います。
高度経済成長を経て1980年代後半、日本はアメリカに次ぐ第二の経済大国でした。この頃の日本における文化の立ち位置は「それだけの大国や大企業なら、文化領域にもしっかりお金をかけるのが当然だ」というような、消極的な文化政策、文化保護だったと思います。
しかしいまや高度成長を支えた製造業の強みは薄まり、時代はすっかり変わりました。これからは文化資源こそが国の経済を支える基礎になると思っています。日本の文化資源には、ユニークなものが多い。現代アート、ポップカルチャー、奇抜なファッションなどはとてもオリジナリティーが高いです。もちろん、能、お茶、短歌、和歌など伝統文化も魅力的です。ハイカルチャーからポップカルチャー、サブカルチャーまで、とても多面的かつ多重的で、ありとあらゆるものがある。
こういった文化領域を基礎に置き、その上で経済を発展させていくべきだと思うんです。つまり、文化は社会を支えるOSなんです。
──文化こそが根底にあり、そのOSの上にあらゆる要素が築かれるべきだ、と。
そうです。現状を考えると、夢物語のように聞こえるかも知れません。でも、私たちはいままさに、OSが変わる瞬間を生きています。それは環境問題に関してです。これまで環境保全と経済成長は、両立がしづらいからこそバランスを取らなくてはならないと考えられてきたと思います。
しかし、時代は変わりました。「環境保全は経済にとって重荷だ」なんて考えは古い。環境保全は経済の大前提であり、戦略でもある。経済領域だけでなく、教育、建築、福祉、観光などあらゆる領域において、環境というOSを前提にして考えられています。
環境問題が社会のOSになったのと同じように、文化もOSになりうると私は考えているんです。ここまで高度に洗練された文化を発展させてきた日本が、文化を蔑ろにして、観光やまちづくりを考えることはもはや非合理的といってもよいでしょう。文化と経済をバランスさせるのではなく、むしろ文化こそが根底にあり、そのOSの上にあらゆる要素が築かれるべきだ、ということです。
──しかし、現状の社会システムでは、放っておけばどうしても経済偏重になり、オーバーツーリズムに代表されるような課題も生じます。
オーバーツーリズムは、世界中で問題視され解決方法が模索されていますよね。例えば、ビジターセンターをつくり充実した解説やちょっとした体験を提供することで本物へのアクセスを制限する。タイミングによっては本物も見られるけれど、普段は精巧につくられたレプリカであってもいいのではないかと私は思います。文化財の中には、本物は存在するけど劣化するからもう日の目を当てられないものもあるでしょう。今後一切見られないよりは、レプリカでも見られたほうが遥かに有益です。
──実施されている対策で特筆すべきものがあれば教えてください。
オーバーツーリズムの問題があるからといって、観光を抑制することばかりを考えるのではなく、他の解決策の検討も必要です。アメリカで積極的に取り入れられているのは、宿泊税を取り、文化領域に使うというアプローチです。新たな建物を建てるときには、その建築費の1%は文化に充てなければならないといった条例を持つ場所もありますね。観光によって生まれた経済的価値を地域の文化に還元させている事例です。
──面白いです。未来に向けてそうした取り組みを推進していくために、文化と観光サイドはどのような意識をもてるとよいのでしょうか?
大事なのは価値観の共有と、ともに目標を設定すること。現状では、文化サイドと観光サイドが、お互いをネガティブに見ている側面もあると思います。でも、それではもったいない。海外観光客との価値観の共有も不十分だと思います。さまざまな国から観光客が来るので、行動パターンも常識も違う。
違いから生まれる課題を解決することこそが、グローバルな社会です。さまざまなセクターがお互いをよく知ること。そのうえでよく対話をして、共通の目標に向かっていくことがなによりも大事になっていくのではないでしょうか。
Text by Shintaro Kuzuhara, Edit by Kotaro Okada